午前9時起床。
ホテルの朝食は中華のバイキングでなかなかおいしかったが、食堂でお客さんたちが食べている間も従業員はテーブルに腰掛けてペチャクチャ大声で話しているあたりが中国らしい。
なにしろ経済特区として市場主義的手法が導入されるまで“サービス”という概念はなかったのだから。
今日の街歩きもまずは南京路から。
ここは中国人にとっても観光名所らしく、あちこちで写真を撮っているグループを見かける。
そして、バンドエリア。
昨夜は暗くて気がつかなかったのだが、大通り沿いにはヨーロッパ風のビルが目立つ。
さすがかつて列強が治外法権を持っていた租界地域だ。
黄浦江を渡ろうと渡し船乗り場を探していたら「観光トンネル」という表示を見つけたので入ってみると、そこはケーブルカー乗り場だった。
渡し船なら往復2元のところを30元も取るこのケーブルカーはトンネル内をネオンやレーザー光線と効果音で演出したアトラクション。
1回乗れば十分だが、北京の遊園地よりは演出がこなれていて子供は大喜びだろう。
3分ほどで浦東エリアに到着。
ここは上海の中でも最も力の入った開発エリアで、高層ビルが集中して並んでいる。
雰囲気は開発初期の幕張やお台場といった感じだろうか。
道はやたらに広いのに車の数は少ない。
で、歩いていたら、こんな看板を発見。
署名はなんとあのト小平氏だ。
漢字から推測すると「浦東の開発を急げ。動揺するな。一気に建設しよう!」といった意味だろうか。
中国のトップ直々のメッセージがあるあたりからも浦東開発への力の入れ具合がうかがえる。
さらに歩いていくと住宅なども現れ、生活感のある街並みになってくる。
そして、僕にとっては懐かしいロゴを発見!
L.A.でかなりお世話になった「ヤオハン」だ。
L.A.のヤオハンはミツワと名前を変えてしまったけれど、ここ上海では元気に生き残っている。
しかも、中に入ってみるとスーパーマーケットではなく、高級感のある百貨店だった。
浦東をグルリと回った後、再びトンネルを戻り、四川北路を北に向かう。
目的地は1930〜40年代に多くの日本人が住んでいた日本租界エリア。
街並みも浦東に比べるとゴチャゴチャしてきてなかなかいい感じだ。
途中で魯迅の故居や
魯迅公園に寄り道。
日本租界といっても特別ななにかがあるわけではなく、ただ古い街並みや建物が残っているだけらしく、2時間ほどウロウロ歩き回ったものの、「これが当時の租界か」という発見はできなかった。
唯一の発見といえば、上海では物干し竿を道路に突き出すように縦に使うということくらいか(笑)。
周辺では高層住宅の建築が進み、おしゃれなマンションが次々に建っている。
きっとあと数年もすればこの辺も高級住宅街になってしまいそうな勢いだ。
夕方、モノレールに乗って虹橋エリアへ。
というのは、バンコクでお世話になった相磯さんとタガミさんが上海に駐在している同僚を紹介してくれたからだ。
上海駐在2年超の豊田さんと嵩井さん。
「何が食べたいですか?」という質問に迷わず「中華!」と答えた僕をお2人が連れていってくれたのは、すんごく高そうな中華料理店だった。
目玉はなんと北京ダック!
北京にも当然チャイニーズレストランはあったが1人で入れそうな店は限られており(もちろん予算の関係も(笑))、「北京ダック」の看板を横目に結局はショッピングセンターのフードコートやファーストフードで済ませることがほとんどだった。
そんな心残りを上海で晴らせるとは。
しかも、突然やって来た見ず知らずの僕にお2人は中華のフルコースをごちそうして下さったのだ。
食事だけではない。
地図を見ながら上海の穴場的見どころをいくつも教えていただいた。
いったい僕はこの旅で何人の好意に助けてもらっただろう。
恐縮しながらも毎回その親切に甘えてしまう。
お世話になった人たちにいつかきちんと恩返しができるだろうか。
<今日の支出>(1元=約14円)
観光トンネル(往復) 21元(学割)
絵はがきセット 25元
オレンジジュース 3元
スタバのコーヒーフラペチーノ 21+5元
日経新聞 50元(高い!)
モノレール 2元
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