ここに来る前から僕が知っていた北京の見どころといえば、天安門広場と万里の長城の2つだけ。
後のことはまったく考えていなかったのでガイドブックをパラパラめくっていたら「廬溝橋」という文字が目に留まった。
日中戦争勃発のきっかけになったあの「廬溝橋事件」の廬溝橋だ。
勝手にもっと北東にあると思い込んでいたのだが、なんと北京郊外にあってバスで行ける距離らしい。
しかも、近くには抗日戦争紀年館もある。
ちょうど歴史教科書が問題になっていることだし、せっかくだから見に行ってみよう。
廬溝橋行きのバス停までは地下鉄でも行けるのだが、北京の街を歩いて行く。
途中で「新華通信社」と書かれたビルを発見。
これがあの「新華社電によりますと…」で有名な新華社か。
ビル自体はけっこう老朽化していて、ここが中国情報発信の要所とは思えない。
「クーデターが起きたらここを押さえた方が勝ちだな」なんて考えてる僕は「ゴルゴ13」の読み過ぎか(笑)。
長椿街からバスに乗る。
「廬溝橋」と行き先を紙に書いて見せると車掌さんは頷きながらにっこり微笑む。
30分ほど走って教えられたバス停で降りると、そこは抗日戦争紀年公園の目の前だった。
広々とした公園に戦争を描いた彫刻と紀年塔が建てられているが、見学者は僕1人しかいない。
突然、雷雨が降ってきて事務所の軒先で雨宿りしていたら、受付のおばさんがわざわざイスを持ってきてくれた。
小雨になったところで中国人民抗日戦争紀年館へ。
展示物にはほとんど日本語の解説もついていて、日本人の観光客もチラホラと見かけられる。
内容は当然のことながら中国の側から描いた“抗日戦争”で、表現こそ抑え気味ながら、日本軍の悪行が徹底的に展示されている。
せめてもの救いは最後の部屋に田中角栄元首相の日中国交回復や村山富市元首相の紀年館訪問メッセージが展示されていて前向きな印象が残ることだろうか。
今回は日本が当事者ではあるけれど、感じたことはアウシュビッツを見たときやベトナムで戦争証跡博物館を見たときと同じ。
勝者の総括だけでは思考停止に陥ってしまうのではないかということ。
ただ、戦争に関して真に客観的な検証をするために56年という期間はまだまだ短すぎるのかもしれないけれど。
紀年館の周辺は北京中心街とはうって変わって古い家屋が残る静かな街並み。
そこから5分ほど歩いたところに廬溝橋はあった。
かのマルコ・ポーロも絶賛しただけあって風情のあるいい橋だ。
再びバスに乗って市内に戻り、北京の地下鉄にも乗ってみた。
週末の北京駅はたくさんの人でごった返している。
この人の多さがこの街のパワーの源だろう。
オリンピックが行われる2008年に北京はどんな街になっているだろうか。
その頃また来てみたいな、と思いながら、僕は明日この街を後にする。
<今日の支出>(1元=約14円)
切手4枚 14.10元
昼食(菜飯&餃子) 20元
バス代(往復) 3元
抗日戦争紀年公園入場料 10元(学割)
中国人民抗日戦争紀年館入場料 8元(学割)
廬溝橋入場料 5元(学割)
有料トイレ 0.30元
地下鉄代 3元
夕食(焼きそば&春巻き) 12元
缶コーラ 3.50元
マルボロ 13元
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