午前7時半起床。
ホテルの朝食を食べて中央駅前のバスターミナルからオシフィエンチム行きのバスに乗る。
クラクフの西50kmのところにある町オシフィエンチム。
ドイツ名はアウシュビッツ。
バスは1時間半ほど走って目的地に到着した。
第二次大戦中にユダヤ人など150万人以上が殺された強制収容所アウシュビッツ。
現在その跡地は博物館として公開され、世界遺産にも指定されている。
確かに人類の大いなる負の遺産だ。
日本語のガイドブックを買い英語版の記録映画を見て敷地内に入ると、まず目につくのは「ARBEIT MACHT FREI」という文字が掲げられたゲート。
英語では「WORK GETS FREE」と訳されていたから「働けば自由になる」といった意味だろう。
死を予期しながらこの門をくぐった人々の気持ちを思うとなんともやりきれない。
敷地はかつて電流が流されていた鉄条網と監視塔に囲まれ、その中にある28の囚人棟が展示に使われている。
何万人分もの靴やメガネといった遺留品や毒ガスの成分が残った人間の髪の毛とそれを編んで作られた生地。
囚人服を着た何万人分もの識別写真。
銃殺が行われた「死の壁」。
テレビのドキュメンタリー番組で見たり本で読んだりした歴史が今「現実」として目の前にある。
その重みは想像していた以上だ。
そしてガス室。
信じたくないが、本当にここで何万人もの人間が殺されたのだ。
シャワーを浴びさせるという名目で服を脱がされ、ダミーのシャワーの設置された密室で。
強制収容所というとアウシュビッツしか知らなかったのだが、ここから約2km離れたところにビルケナウというより大規模なものがあるという。
シャトルバスも出ていたのだけれど、僕は歩いてみることにした。
途中で陸橋を越える。
そしてさらに歩くと線路の引き込み線が現れ、それは真っ直ぐ収容所のゲートに向かっている。
線路は門を通過し、敷地内まで続いている。
記録映画の中に収容者がヨーロッパ各地から列車で連れて来られるシーンがあるが、その終着点がここなのだ。
その終着点のすぐ横に2棟のガス室・焼却炉跡。
姿をとどめていないのは撤退するナチスが証拠隠滅のために爆破したからだという。
ビルケナウは確かに広い。
建物はほとんど爆破されその姿をとどめていないが、総数300棟以上。
約175ヘクタール(約53万坪)の敷地に10万人以上の囚人が収容されていたという。
かろうじて残っているバラック。
52頭用の馬小屋が改造されたバラックに収容された囚人の数は約1000人。
腐ったわらの敷かれた3段ベッドの1段に8人が寝かされていたという。
本当に見れば見るほどやりきれなくなってくる。
正直いって気分はどんどん重くなり、最後まで見ないで逃げ出したくなるほどだ。
各展示には英語でも説明がついているのだが、そこで気づいたことが1つ。
行為の主体はほとんどが「ナチス」あるいは「ナチスのSS」なのだ。
かなり丁寧に見たつもりだが、僕の見た中で「ドイツが」という記述になっていたのはビルケナウ入口にあった碑文(しかもそれはごく最近作られたものだ)のみ。
誰のどんな意図によってそうなったのかは分からないが、非人間的な残虐行為の数々は「ドイツ」ではなく「ナチス」に帰せられている。
アウシュビッツとビルケナウは正当な理由もなく迫害され殺された被害者の立場から戦争犯罪を告発する、なくてはならない歴史遺産だ。
だが、それを見れば見るほど僕の中に疑問がわき上がってくる。
なぜナチスは生まれ、人々に支持され(ナチスに政権を与えたのは選挙だ)、こんな残虐な行為を行なうようになったのか?
それを子供たちにも分かるような形で説明してこそ悲劇をくり返さないことにつながるのではないだろうか。
もし僕が当時のドイツに生きていたとしよう。
多くの人たちがナチスを支持する社会状況の中で、僕は本当にそれを否定することができただろうか?
僕にだってそれくらいの想像力はある。
<今日の支出>(1z<ズウォティ>=約29円)
アウシュビッツ記録映画 2z
日本語ガイドブック 3z
有料トイレ(2回) 1z
昼食(チキンカツ&スポーツドリンク) 18z
オシフィエンチム〜クラクフのバス代 10z
クラクフ〜ベルリンの列車代 92.63z
同 2等寝台車 101.08z
イザーク・シナゴーグ入場料 6z
夕食(クレープ&コーヒー) 6.80z
絵はがき3枚 2.50z(おばちゃんに釣り銭を1zごまかされた)
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