「Los Angeles留学日記」

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6月5日(火)Wien(オーストリア)- Venezia(イタリア)
午前5時半起床。
1週間のウィーン滞在中なにからなにまでお世話になったMinakoさんともいよいよお別れのときがやって来た。

いくらずっと日記を読んで下さっていたとはいえ、こんなに親切にしていただけるとは思ってもみなかった。
寝食だけではない。
オペレッタのチケットは取って下さるわ、中東とアフリカのガイドブックは貸して下さるわ、さらには「ケニアで必要だと思ったから」と蚊取り線香まで下さった。
本当になんとお礼を言ったらいいか分からない。
この親切を僕は絶対に忘れないだろう。

おかげで気力も体力もばっちり回復。
これからますますヘビーになっていくに違いない長旅に万全の体制で向かうことができそうだ。

ヴェネツィア行きの列車は午前7時34分ウィーン南駅を出発した。

朝食はMinakoさんが作って下さったおにぎりとゆでたまごに緑茶!

ヨーロッパのど真ん中でこんな純日本風のお弁当が食べられるなんて、なんと幸せなんだろう。

3時間ほど走ると、山頂に白い雪を頂く山々が遠くに見えてくる。
きっとアルプス山脈だろう。
その手前にはまるで点描の油絵のように深く多様な緑に覆われた山々。
オレンジや赤茶色の三角屋根に白い壁の美しい家々、
そして青い空。

明るい陽ざしだけ一足先にイタリアから国境を越えてきたようだ。

無事パスポートチェックを済ませると線路の左右に潟が現れる。

おおっ、ついに水の都に突入だ。
列車は定刻より約30分遅れの午後4時、ヴェネツィア・サンタ・ルチア駅に到着した。

駅構内のツーリストインフォメーションを覗くと、ホテル予約のコーナーに長い行列ができている。

う〜ん、これはかなり待たされそうだ。
到着時間が遅いのは気になったが、今回は自力で宿探しすることにして駅から出る。


すると、駅の目の前をさっそく運河が流れている。
さすが水の都だ。
なにしろここから先は車が1台も走っていない運河の街なのだ。
L.A.にヴェニス・ビーチというエリアがあるが、それはこのヴェネツィア、つまりヴェニスのような街を目指したのだという。
真似したくなる気持ちもよく分かる美しさだ。

土地が狭く限られている上、観光客の絶えないヴェネツィアはホテルの値段も高いのだが、なんとか10万リラ(約6500円)以内で押さえたい。
ガイドブックのホテルリストを片手に駅周辺の安宿エリアを回る。
ところがどこも満室。
15万リラまで妥協したのに空室は見つからない。
やはり到着時間が遅すぎたか。
それともウィーンで気が抜けてホテル探しの勘が鈍ったか。

仕方なく、さっき通り過ぎてきたツーリストインフォメーションに戻り、行列の最後尾に並ぶ。
僕の後ろに並んだフロリダからのバックパッカー3人組もユースホステルなどガイドブックのリストを片っ端から当たったのに全滅だったらしい。
これはイヤな予感がする。

1時間半も待たされて、やっと僕の順番がやってきた。
「できるだけ安いシングルを」とリクエストする僕に係のお兄さんはあっさりと「もう安いのはないよ」と一言。
提示されたのはなんと1泊25万リラ(約1万6250円)の3つ星ホテル・Hotel al Graspo de uaだった。
う〜ん、厳しいなぁ。
厳しいけれど、ないものは仕方がない。
ヴェネツィアには2〜3泊しようと思っていたのだけれど、とりあえず1泊だけ予約してホテルに向かう。


そのホテルは値段以外は文句のない清潔な部屋だった。

チェックインして最初にしたのは明日の宿探し。
再びガイドブックを片手に電話をかけまくる。
ところが、結果は全滅!
これはおかしい。

フロントのお兄さんに聞いてみると、なんでも今週末に大きなイベントがあるため、ホテルの状況は非常に厳しいという。
清水の舞台から飛び降りる気分で「もう1泊したいんですけど」といってみると、「申し訳ないけど明日は満室なんだ」。
ホッとしている場合じゃない。
もしかすると明日の宿はないかもしれないじゃないか。

急いで駅に引き返し、さっき並んだツーリストインフォメーションへ。
ところが「明日の予約は今日できないんだ」と、またもやあっさり。
なんで〜?

ホテルに振り回されて時間はすでに7時半を回っていたが、それから街歩きモードに入る。
最悪の場合、明日はここに泊まれないかもしれないのだ。

まずはヴェネツィアのランドマーク、サン・マルコ寺院と広場。

「海の都の物語〜ヴェネツィア共和国の一千年」(塩野七生著・中公文庫)でヴェネツィア人が聖マルコの遺骨をエジプトから運んだいきさつや、十字軍がコンスタンチノープルから4つの青銅馬像を持ち帰ったエピソードを読んだばかり。
共和国に一大事があるたびに市民がここに集まったかと思うと感慨深い。

最初は地図を見ながら歩いていたのだけれど、まるで迷路のように入り組んだヴェネツィアの細道と運河に迷子になってしまった。
しかたなく、開き直ってデタラメに歩き回る。


気がついたら街はすっかり夜になっていた。

ホテル代が予算オーバーだったので夕食は抜き!
と思ったが、Minakoさんのおにぎりが残っていたのでおいしくいただく。

さて、僕はヴェネツィアにもう1泊できるのか?
それは明日の日記でご報告します。

<今日の支出>(100L<リラ>=約6.5円)
ホテル予約手数料 1000L
ヴァポレット(水上バス)3回 1万8000L
絵はがき3枚 2400L
マルボロ 5800L

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