「Los Angeles留学日記」

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9月12日(火) Cuzco - Machu Pichu - Puno(ペルー)
5時半起床。
高山病の症状はおさまり、、体調は万全。
ケーブルテレビのNHKワールドは日本での集中豪雨を伝えている。

ピックアップのタクシーに乗って、マチュピチュ行きの列車アウトバゴンが出発するサンペドロ駅へ。
ホームは各国からの観光客でにぎわっている。

欧米人が中心だが、日本からのツアー客もいて、嬉しいようなくすぐったいような複雑な心境になる。

列車はスイッチバックでクスコ市街を登った後、美しい山並みを縫って走っていく。
まるで「世界の車窓から」の世界だ。

9時45分、マチュピチュへの入口となるアグアス・カリエンテス駅に到着。

土産物屋が並ぶ道を抜け、そこに待っているバスに乗る。

まるでいろは坂のようなつづら折りの道を30分走ると、ようやくマチュピチュ遺跡のゲートにたどり着く。
朝晩肌寒かったクスコに比べると日差しも強く、久しぶりにTシャツ1枚で大丈夫だ。

マチュピチュはインカの人々がスペイン征服軍から逃れるために築き上げた要塞都市。
切り立った断崖の頂上にあり、下からではその存在すら確認できないため、「空中都市」とも呼ばれる。
南米の他のインカ都市がスペイン人によって破壊されてしまった中、純粋な形でインカ文明を今に伝える唯一の町だという。


すごい。
確かにここに文明都市があったのだ。
湧き水を引き、農作物を作って自給自足し、天体観測や建築など高度な技術を有していた人たちがここで生活していたのだ。
僕たちのグループを担当してくれたガイドのダルウィンさんは、クスコ大学でインカ史を教えていたというだけあって解説に説得力があり、分かりやすい。
スペイン語訛りの英語は聞き取るのが大変だが、それを補って余りあるほど彼のマチュピチュへの情熱が伝わってくる。
いいガイドに当たったな、と思う。
たったの4時間だが、目一杯歩いて遺跡を堪能した。

帰りはまたつづら折りの道を下っていくべくバスに乗り込んだ。

そこに現れた1人の地元少年。
甲高い声で「グッバーイ!」と叫びながら手を振っている。

バスが走り出し、次の角を曲がると、そこには待ち構えていたかのように、さっきの少年が。
「グッバーイ!」

その次の角でも、そのまた次の角でも…。
少年はクネクネ道をショートカットして一足先にバスを待ち構えているのだ。

初めは物珍しげに見ていたバスの乗客が角を曲がるたびに彼の姿を期待し、だんだん盛り上がっていく。
こりゃ、見事なエンタティナーぶりだ。

少年はついにはバスより早く下までたどり着いてしまった。
キミはすごいよ!

僕は彼のエンタティナーぶりに感動して、惜しみない拍手を送り、些少ながらチップを手渡したのだった。

帰りの列車は車両故障で2時間ほど遅れたが無事クスコに到着。
ホテルで荷物をピックアップしたその足でバスターミナルに向かい、22時発プーノ行きのバスに乗り込んだのだった。

<今日の支出>
トイレ 0.5ソル
ハンバーガー&インカコーラ 18ソル
グッバイボーイへのチップ 1ソル
タクシー代 3ソル
バス代(クスコ - プーノ) 10ソル(ディスカウント価格)
バスターミナル使用料 1ソル

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